この寒々しい冬の景色は僕には、
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に
出てくる一角獣達を思い出させます。
(これより先ネタばれあり)
この小説は村上春樹の作品の中で異色の作品だと思います。
僕はこの作品は5回位読み返したと思います。
例によって小説の中で起きる一つ一つの事柄はハッキリしていて、
それは「ドリトル先生」の用に親しみやすいエピソードに満ち、
簡潔で明瞭な文章で構成されています。
一つの文章が終わると、次の文章を催促するように、
永遠と物語は続いて行って、
読み続けて決して飽きる事がありません。
しかし、全体を通してこの物語がいったい何を
伝えたいのかさっぱり分からないと言うのが、
ほとんどの人の感想だと思います。
でも僕はそれで良いのではないかと思っています。
村上春樹自身もきっと分かっていないような、
気がしてしかたありません。
ぼくなりの解釈を恥ずかしくもなく、
お話ししますね。
あくまでも僕の独断と偏見ですが、
この物語は一人の「私」がある事件に巻き込まれ、
それもかなり荒唐無稽な事件で、
とてもユニークな登場事物が外苑前あたりの、
深い、深い、地下のトンネルの中で、
(外苑前に深い地下トンネルがあるとは思えませんが)
インデージョンズのような大冒険をして、
最後に仮説としての死を迎える訳です。
そして同時進行として、
「私」の潜在意識の中の「僕」が
脳の中で「私」の古い記憶の中から
自我を探して行くという物語なんです。
わかりますか…???
わからないだろうな…説明している僕が、
よく分からないんだから…
でもこれだけは言えます。
この小説も何か人の人生に、
似ているなって。
人生って一つ一つの事象は、
面白くて具体的なエピソードや、
教訓に富んでいて、
それはあたかも人の人生が何かの意味を、
持っているような誤解を与えますよね。
でもほとんどの人の人生が、
物語の用な結末に向かって進んでいる訳じゃなく、
残った人たちが、その人の人生を
勝手に意味付けしているだけなんだって
思いませんか。
村上春樹の小説もそれに、
似ているような気がするんです。
読んだ人がそれぞれに、
自分としての価値をつけて下さいって。
そういっているような気がします。
ま!結局、結論としては面白いんです。
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